企画展「多摩市百草 恋路稲荷神社の秘密」

現在放送中

放送日2025年02月02日~

企画展「多摩市百草 恋路稲荷神社の秘密」

多摩市

多摩市落合のパルテノン多摩では、現在、「多摩市百草 恋路稲荷神社の秘密」と題した企画展が開かれています。
この企画展は、多摩市百草にある恋路稲荷神社から見つかった貴重な資料の数々を通して、地域の歴史を紹介していくというものです。
企画展は3部構成でまとめられ、令和4年に移転するまでの間、恋路稲荷神社が鎮座してきた「稲荷塚古墳」の出土物や、様々な歴史資料、そしてそれらの資料から明らかになったことなどが、紹介されています。

第二章では、「恋路稲荷神社の伝来資料」として、祠(ほこら)や、お堂の前に設置されている「鰐口(わにぐち)」と呼ばれる鳴り物などが展示されています。
展示物の一つである木札は、恋路稲荷神社に隣接していたとされる寺院、「資福院(しふくいん)」の歴史調査を進めるうえで重要な役割を担っているということです。

恋路稲荷神社に伝来した木札のうち4枚には、18世紀の年号があり、その中に、黄檗寺院(おうばくじいん)「資福院」の名前が記されていたことから、これまで不明な点が多かった資福院の存在時期が、より明確化されたということです。
「享保7年」と書かれた木札は、現時点で、資福院の存在について書かれた資料の中では最古のものとなります。
そして、「別當資福院識(べっとうしふくいんしるす)」という記述からは、当時、資福院が稲荷神社を管理するために設置された「別当寺」であったことがわかります。
また、別の木札には、「資福禅院現什廓然(しふくぜんいんげんじゅうかくねん)」と記されており、寛保元年・1741年頃、資福院の住職が廓然(かくねん)という和尚であったことがわかります。
黄檗宗の弟子が師匠から教えをついだ年月日が記されている、「黄檗宗鑑録(おうばくしゅうかんろく)」には、恋路稲荷神社に墓のある「星川壽(せいせんじゅ)」という和尚の、3人の弟子の名前の中に「廓然衍氏(かくねんえんし)」と記されています。
この廓然衍氏が教えをついだのが1726年で、時期に矛盾が見られないことから、恋路稲荷神社の廓然と同一人物であると考えられました。
このように、廓然が資福院の和尚だと判明したことで、今回新たに、資福院の師弟関係についてもたどることができたということです。

このほかにも、会場には、多摩市内で唯一、恋路稲荷神社だけにまつられていたという妙義大権現の祠など、貴重な資料の数々が並び、それらから新たに判明した、多摩地域の歴史を学ぶことができます。

企画展「多摩市百草 恋路稲荷神社の秘密」は、6月8日(日)まで、パルテノン多摩 2階 ミュージアムで開催されています。
展示内容や、会期中に行われるイベントなど、詳しくは、パルテノン多摩のホームページでご確認下さい。